九州のこまの歴史
日本のこま・九州のこまの始まり
今から約1300年前、中国から竹製のこまが伝わってきたことが、日本のこま文化の始まり。当初は貴族の遊びとして楽しまれたと言われています。
九州への伝来についてはいくつか説があり、菅原道真が京都から福岡に左遷となった際にこまを持ち込んで広まったという説や、朝鮮半島から長崎の平戸を経て直接伝わったという説があります。
九州の投げこまの原型「博多こま」の誕生
約400年前の江戸時代に入ると、こまが庶民の遊びとして親しまれるようになります。この時代、福岡の博多では、木製の胴体に鉄製の心棒を打ち込んだ博多こまが作られ、こま同士をぶつけて競う「けんかこま」が流行しました。
それまでのこまから格段に進化し、ブレが少なくよく回る博多こまは、回したまま手に取って移動させることが可能に。こまを巧みに操る曲芸も誕生し、全国で人気を博しました。
各地で独自のこまが作られるように
こうして大衆・子どもの遊びとして定着していったこま。こま遊びが特に盛んに行われた九州では、最盛期にはこまを作る工房が40軒近くあったと言われています。木の胴体に鉄芯を打ち込んだ博多こまの特徴を引き継ぎながら、各工房で様々な色や形のこまが作られ、その中で定着したものが現在の各地のこまとなったのだと思われます。